2015年8月25日火曜日

21世紀のミスキャスト


言い訳をしようじゃないか。
沢山誕生日の祝辞を頂いた。ら、寝込んだ。なんてざまだ。
祝われ慣れていないだけじゃない。プレッシャーに負けたのだ。いや、違う。休むのが下手すぎたのだ。毎年おなじみの、8月自分過信マンだ。そして当たり前のように歳をとり、自分の限界の引き下げ目算にまた間に合わなかったのだ。
だがしかし、今年の私は去年とひと味違う。本格的に人に頼り出した。恥もひったくれもない。私のやりたいことは私一人ではぜーんぜんできない。もうわかりきってた事なんだから。
ただ少しびっくりした。ゆっくりペースを上げて行こうと思っていたんだけど、私が私をさぼっている間にも、その前に頑張っていた事は消え去ったりはしなかったんだね。ただしかしでかい。でかいよ!rooms!
去年の事がさっぱりきっかり片付いたのは5月半ば…ではなく8月頭か。最近じゃねえか。roomsの話が決まったのも急だったけど、私はそこで全て決めようと思った。いろんな気持ちが脳内を駆け巡る中で、「時間がない」「がんばらなきゃ」「急がなきゃ」というワードに集約されていく。タスク管理も一つでも崩れてしまえばこの3つのワードに脳味噌が支配されて、楽しい活動のこと、モノ作りの楽しさ、面白さを一切感じなくなるのだった。んで、目が覚めたら8月19日。ここで私は19と20の違いを感じる。19日の23:00から頑張るのと、20日の1:00から頑張るのでは全然違う。5分前行動みたいなもんなんだけど、それができる自制心を試してみた。これができなかったら多分他もダメだろうと思ったのね。んで、できたのね。できてしまえばもうこっちのペースね。どういうことなの。
人の個人情報を預かっていたり、待たせている事はすごく心苦しい。しかし身体はひとつなので、一個一個順番にこなしていかなければいけないんだ。
とりあえずDVDプレイヤーを買ってきて、部屋を片付けた。脳のパンクって部屋ぐっちゃぐちゃだからね。大丈夫。今はとにかく大丈夫ですという報告です。

roomsの事はまたちゃんと告知するんだけど、新しいシリーズとかね、また改めて言うけど。


寝るね。nerune。テーマは睡眠。アンチゆめかわいいを唱えながら私の中の睡眠欲求を形にしていこうというシリーズです。
ゆめかわいいというジャンルは大概白昼夢のような、夢の世界のような淡い世界をテーマにしているようなビジュアル等を誰かが定義したものをいうと思ってますが間違ってますか?私は"ゆめかわいい"が恐ろしくてたまらないのです。
ゆめかわいい…という状況は、睡眠におけるノンレム睡眠状態、夢を見ている状況を、"かわいい"と表現する事ですよね? 病気かわいいと思っている人は重病じゃない事が多いです。ゆめがかわいい人は、熟睡できているという事なんでしょう。
それが普通なんでしょうけども、眠れなくて苦しんでいる人間はもはや夢という生理現象に殺意を持っている事でしょう。眠りに執着する私達は"現実かわいい"を推しているのです。
性的殺意ではよく、強く生きる為に…という、弱い人間が作っているもの丸出しのテーマでモノを作っていますが、いつだって完全武装で生きているのは疲れます。かといって、ゆめかわいいに包まれてリラックス?夢を憎たらしく思わない人達の作ったベッドで、無理矢理ハーブティーを飲まされて、自然に眠れと強制されているようなものであり、地獄です。
睡眠薬、飲んだっていいじゃない。でもでも、フリルだって、ふわふわだって、いいじゃない。
頼むから寝かせてくれ。もう、ねるね。そんなコンセプトでやってます。
"げんじつかわいい"  だから夢なんて、喰っちゃってよ。舌の肥えたユメクイ。



完全に僻みです。毎月お金払って眠らせてもらってるから。でも元気です。元気な感じのシリーズです。全体的にやっぱりボーイズライクな感じです。とにかくお楽しみに。





愛は地球を救わないし自分に課金しろ。





【お知らせ】地下室Timesで連載始まりました。


無責任な事をいっぱい書いていきたいと思ってます。よろしくね。初回は漫画です。
自分の事を棚上げしまくって、売れないバンドマンがなぜ売れないか徹底的に分析…ではなく寄り添いながらなにをしていくべきか、個人活動ってそもそもなんだろうかって考えながら書いていくコラムの連載です。どうかよろしくね!

初回記事はこちら
http://basement-times.com/post-11421/








【YAMAHAと父とスキーの話】
ところでこのスキー板、表参道で見つけたんだけど、かっこよくないですか?
YAMAHAはウィンタースポーツ関連から90年代に撤退してる。長野オリンピックの1997年直前、カラオケブームで電子部品の強化からスキー撤退ってすごいね。スキーは発動機の分野じゃないから楽器の方なのかな?地元企業だから応援してるってのもあるんだけど、発動機もオーディオもデザインがかっこいい。
父がYAMAHA贔屓で、バイクもYAMAHAだったし、スピーカーもYAMAHAだった。勿論ギターもYAMAHA。ヤマハのスキー用品の画像を見ていたら何だか懐かしい気持ちになった。97年で時間が止まってるんだ。長野オリンピックは小学校で授業中テレビで中継を見た。

父はスキー狂で、冬は家族をほったらかしにしてスキーに出かけてしまう。母と結婚した時もそうだったし、今もそうだが子供の頃、その影響かスキーが大嫌いだった。
母がスキーに行く父の後ろ姿を溜息をついて見ている。家族旅行といえばスキーに同伴するようなもので、嫌いだったので家族旅行には行かなかったような気がする。言わばスキーは私にとってトラウマだ。
行けば楽しいのはわかっているけど、父が自分勝手に生きているようで憎らしかった。が、今となってはしっかり私は父に似てしまい…というか元々私の性格は父に似ていて、好きな物は買うしやりたい放題だ。見た目は母に似た。
何の影響なのか23歳頃になって、子供の頃スキーに行く時よく車でかかっていた(当時は赤のレガシー)松任谷由実の「ワゴンに乗ってでかけよう」を凄く聞くようになった。耳にとても残っていたのだ。この曲を聞くきっかけは、サーフ天国スキー天国が挿入されている、サーフ&スノーというアルバムだ。
このアルバムに行き着くには順等な手順を踏んでいる(と、思う)。はっぴいえんどを聞いていればいつかは辿り着くアルバムだ。大滝詠一のロングバケーションにはまり抜いた2012年、永井博の絵の快感に打ちひしがれて、あの頃から作品作りは"気持ち良さ"を求めていっ
たと思う。
私は雪の降らない静岡で生まれて、雪の降る世界は遠い夢の国だと思っていたのかもしれない。東京では雪が降る。上京した2010年の冬、1Kのマンションの前にそれはもう綺麗な雪がこれでもかと降った。小学校が近かったので…いやそれは関係なく、大きな猫の雪だるまを作った。猫の雪だるまは、子供の頃スキー以外で初めて雪に触った時に作ったものだ。父が、少しのドライブのつもりで私と弟を乗せて走らせた車は、結構あっさりと静岡から山梨に着いて(雪が見えたら山梨県の証拠である)、そこで平な、スキー板のない雪遊びを初めてして、とてもよく覚えている。小学生の高学年くらいだろうか。
その後私は中学で荒れて、またその荒れている時期が父ともかぶって、しょっちゅう喧嘩にならない喧嘩をしては自室にこもって恨み節を綴ったものだった。余談だが静岡県民は雪を見ると泥雪でもはしゃぐので注意してほしい。
家族と遠く離れて暮らして、ねこだるまは子供達に壊されず、かわいいと声が聞こえてくるたび嬉しくなって、綺麗に溶けてなくなった頃には私は、あの頃の父を許して、母を許して、父を恨めしく思う自分も許したんだと思う。
トラウマは好転して大好きなものに変わった。そういう事はよくあるらしいけど、私は多分それだ。YAMAHAも、オーディオも、CDも、ギターも、スキーも、絵も、本当は父の影響だ。認めたくなかったんだろうけど、私は小さい頃、本当に父に憧れていたんだ。
今になってそんな気持ちが爆発して、スキーの絵を描いている。そんな気がする。
子供の頃の私とは、その辺の件については和解したようだ。

長くなった…。ちょっとした小話くらいのつもりが…。
毎日更新したいと思っているけど毎日色んな気持ちを掘り起こしてしまう気がする。時間がかかるなあ。でも悪い事では決してないのね。それだけ向き合ってない事柄があるって事なのね。少しずつ自分を紐解いていきたい。文を書くのは好きだ。ただ読ませる気ないでしょこれは…。どうかな?読んでる?未来の自分が読む事が多い。未来の自分、読んでるか。


【ウルトラセブンと人間関係の話】
人と人が暮らしていくには距離が本当に大切で、同居してても顔を合わせなければレオパレスの隣人のように不快だし、その上共同スペースがある訳で、そこまで行くドアを開けた道が外ならば、やっぱり仲良くはなれないよなあと思った限りです。レオパレスが全部繋がってたらきっともう少し配慮できるんだろうね。一軒家だと思えばいいんだけど、なかなか難しい。
そんな中、渡り廊下になってくれたのはウルトラセブンだった。意味もなく見る。突っ込みどころを笑って、とりあえず当時抱えていた問題からお隣さんも、私も距離を置いて、見る。2月頃から自然とこの"セブンを見て心を休ませる"というのをやってたんだけど、あれからウルトラマンにはしっかりお世話になっていて、GWに東急百貨店にセブンとゼロが来るー!みたいな日に仕事で行けなかったのが悔しくて泣いたり、メビウスにはまってみたり、DVD買ってみたり。
音楽でも絵でもない、本当に単純な趣味ってあんまり持ってなくて、部屋は娯楽部屋のように見えて仕事のモノ以外何も置いていない状態だった私にとって久しぶりの娯楽。
今は本当に充実してます。X。ありがとう。


池袋はカオス。ウルフェスに行ってきました。ウルトラマンXの出来が毎週よすぎて逆に心配になる。

2015年8月8日土曜日

8月7日はテストの1週間前のような


毎年誕生日は関門である。

年齢を重ねるプレッシャーに押しつぶされて寝込んだり、逆にその日に何か展示を仕掛けて、去年の年齢の清算と結果発表をしてみる。何もしないという事はできない。8月生まれは夏休みに歳をとる。時間がある時に歳をとる。人知れず。
何か、新学期に変わっている自分であろうか。何か新しい自分になっているだろうか。前の年齢の自分をやりきれたか?新しい年齢に見合う自分であるだろうか?
誰にも祝われずに歳をとる。自分でアピールしてみたら、年齢という細胞ランクアップを祝せと言わんばかりだ。何か変わっていなければいけない。そういったプレッシャーを感じ始めたのはいつ頃からだろうか。多分、12歳だ。真似事の活動を始めたのはもっと早い。年齢のブランド価値に気づいたのもこの頃だが、恐らく、数字の与える印象と、それに応える自分というものに関して敏感だったんだろう。それは、12歳になった後から26歳になった今日まで続いている。ナウで感じている。
誕生日なんてものはなんでもない。1年のスピードも12歳と25歳では全く違う。
そもそも、祝ってくれる理由は、今年も生きていられたーなどという旧式的…というよりはもはや原始的な祝いでもなんでもなく、”あなたが誕生してくれてよかった”というものだ。人間の肯定なのだ。私が私に課す次の年齢へのカウントダウン、そういった考え方は、非常に稚拙なのだ。
だがしかし、四季があり、年末があり、年度末があり、年度始めがあり、学年という概念がある、この身近な世界において、自分を追い立てるものは必要でもある。
毎年、考え方が違ってきた。地元静岡に帰った時にいつも寄る居酒屋。年度始めからその年齢としていると女将に伝えたらこう言われたのだ。
「それは損な考えよ。あなたは誕生日の時、その年齢の中で一番若いのだから。」
盲点だ。目から鱗、みたいなことを認めなかった自分の目から、完全に鱗が落ちた。
そうか。8月6日まで25歳でいていいんだ。そして、8月7日は、26歳で一番若いんだ。
そんな気持ちでいた今日。積極的にアピール。それは私が成長したことではなく、純粋に、27年前の今日、生まれたんだよ。という、単純な、生きている事への肯定を求めてみた。おめでとう。ありがとう。全ての言葉が私が産まれてきた事を肯定してくれて、26歳の自分への期待ではない。そんな気持ちだ。何かせねばという脅迫から逃れた今年の”誕生日”だった。
ぶっちゃけ、自分が自分の年齢に拘る割には、他人の年齢には興味がない。若い子はすごいなーこわいなーと思うけど、誕生日までチェックしてないし、誕生日に何か変わってみせろ、とは思わない。そして誰も私にそういう期待はしていない。自分だけが誕生日と戦っていたのだ。
自己満足や勝手な落ち込み。そんなものはどうでもいいんだ。いいといいつつ私はやっぱり今日という一日に凄く期待していて、何かいい事があるような気がして。でも、今日はただの8月の金曜日であって。何もないんです。私の細胞が今日いきなり劣化した訳じゃない。じっくりと時間は過ぎて行き、そして加速や減速は今日という日にとらわれない。1ヶ月が死ぬ程長い月もある。寝て起きたら過ぎている時もある。
当たり前のことだけど、いつだって時間は平等で、自分との戦いは今日だけでなく、常時だ。
今年の私は、私がここに生きていることを純粋に祝ってくれる人々に、ごはんをねだって、そして私自身は、これから始まる26歳で一番若い時期の、一番の難関に、フレッシュな気持ちで挑んでいきたいなと思っている。今日より昨日が忙しい。そしてそれよりも明日が忙しい。今日、期待をこめて空白にしていた時間が惜しいばかりだ。しかし昼に食べたラーメンはここ最近で一番美味かった。
些細な事で泣いたって、1年がクソになるような気がしてた数年前の私じゃない。これが大人になったって事でもない。
ただただ、今は今を生きる事にわくわくして、苦しんで、しかも26歳児の自分で一番若いのだから、ちょっとだけ今までより、幸せでぞくぞくした8月7日でした。

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12星座のドローイングをやったよ。タイムアタック。このあといつも1日寝込みます。